「北の春は鰊で明ける」とうたわれ、北海道の西海岸一帯が、押し寄せる鰊の漁に大いに賑わいを見せていたのは、遥か江戸時代から明治、大正、昭和初期にかけてのことです。北海の荒波に挑んだ各地の大網元は、その威光を誇るかのように豪壮な居を各地に構えたといいます。その隆盛最中の明治6年、余市の大網元、猪俣安之丞氏が築造した個人邸宅が銀鱗荘の始まりでした。当時の人々は、その勇壮かつ優美な姿に目を見張ったことでしょう。 以来百有余年。銀鱗荘は、昭和13年から14年にかけて現在の地へと移築されましたが、現存する数少ない鰊御殿のひとつとして、また宿泊できる唯一の鰊御殿として、変わらぬ雄姿を保ち続け、北の海に繰り広げられた栄華の歴史を今に伝えています。
「北の春は鰊で明ける」とうたわれ、北海道の西海岸一帯が、押し寄せる鰊の漁に大いに賑わいを見せていたのは、遥か江戸時代から明治、大正、昭和初期にかけてのことです。北海の荒波に挑んだ各地の大網元は、その威光を誇るかのように豪壮な居を各地に構えたといいます。その隆盛最中の明治6年、余市の大網元、猪俣安之丞氏が築造した個人邸宅が銀鱗荘の始まりでした。当時の人々は、その勇壮かつ優美な姿に目を見張ったことでしょう。
以来百有余年。銀鱗荘は、昭和13年から14年にかけて現在の地へと移築されましたが、現存する数少ない鰊御殿のひとつとして、また宿泊できる唯一の鰊御殿として、変わらぬ雄姿を保ち続け、北の海に繰り広げられた栄華の歴史を今に伝えています。